2006-02-24 第164回国会 衆議院 法務委員会 第2号
○石関委員 大臣のおっしゃる適切というのがどういうものか、ちょっと私理解できないんですが、また改めてお尋ねをするとして、先ほど申し上げた左藤大臣、この退任時の発言については承知していないということでありましたが、この前後に四人の法務大臣の方々、長谷川信さん、梶山静六さん、この左藤さん、そして田原隆さん、この方々がいずれもサインをしなかったために、三年四カ月の間死刑執行がなかった、こういう時期がございました
○石関委員 大臣のおっしゃる適切というのがどういうものか、ちょっと私理解できないんですが、また改めてお尋ねをするとして、先ほど申し上げた左藤大臣、この退任時の発言については承知していないということでありましたが、この前後に四人の法務大臣の方々、長谷川信さん、梶山静六さん、この左藤さん、そして田原隆さん、この方々がいずれもサインをしなかったために、三年四カ月の間死刑執行がなかった、こういう時期がございました
二代が天野健夫、退職金額は百五十万円、三代が長谷川信蔵、退職金額が二百五十万円、四代が新谷正夫、退職金額が三百万円、五代が枇杷田泰助、退職金額が一千八百九十万円というぐあいに聞いております。
そこで、二十四日、二億円が渡されたと言われておるわけでございますが、この二十四日に渡された二億円は長谷川信さんという国会議員に渡したということに渡邊廣康氏の調書にはなっておるのでございますが、遺憾ながら捜査当局は、長谷川信さんに渡ったという調書はあるけれども受け取ったのは長谷川信さんでないという、捜査としては断定できない状況にあるわけであります。
さて、その次、長谷川道郎さん、長谷川信さんの息子さんですが、上申書が出ておるわけでございますが、これは間違いないのでしょうか。この人の上申書によりますと、二十四日から二十七日まで国会にいたというのですね。しかもまだ、私も新聞やいろいろなことで調べてみますと、九日の日に二億円はジュラルミンに入れた、こう早乙女常務がどうも供述しているようです。
まず第一の一九八九年五月八日の部分に、十四時、長谷川信との記載がなされていること、それから翌九日の部分に、十四時半、渡辺秀央との記載がなされていること、それから翌五月十日の部分に、十四時、大倉(TV新潟)との記載があることを承知しております。
○大渕絹子君 それでは、私は本院の亡くなられました長谷川信元法相の名誉のためにお尋ねをするわけでございますけれども、当初マスコミは、こぞって亡くなられた長谷川元法相がこの二億円を受け取った本人ではないかということで報道をされました。
しかし、それは中曽根先生の前に行くというのがいかがかという気持ちがございましたので、そのとき、じゃ何月何日に参りますということは申さなかったことは事実でございますが、長谷川信先生から、私がこの門前でお待ちしておりますので行くのが人の道じゃないですか、まああしたにしましょう、中曽根先生よりも一時間前になってもいいんじゃないですかと、こういうことでございましたので、では朝行こうというふうに決断をしたということが
○竹下証人 今のお話でございますが、要するに、六日、中曽根当時総裁よりも前の時間に行こうと決断したのは、まさに長谷川信先生のお電話があったからでございます。私は実は割に前後を気にします。だから、少なくとも現総裁が前だなという感じを持っておったわけでございますので、その点はまさに長谷川さんのお電話でお話をした。
しかも、それはあなたの調書によってそれが明らかだというふうに言われているんですけれども、それについてあなたは長谷川信先生町名誉に関して何か言うことはありませんか。
これはお金のことで答えにくいかもしれませんけれども、実は、なぜ聞くかといいますと、あなたは、まず長谷川信さんという前の法務大臣をおやりになった人を御存じでしょう。
○北村哲男君 今の拒否の理由、一応わかりましたけれども、重ねて伺いますけれども、長谷川信先生の、亡くなった長谷川信先生の奥様が、亡くなった人聞に罪を着せて非常に嘆かわしいというふうに言っておられるということを聞いております。それが、しかもあなたがそう言ったからというふうに言われているんですね。こういうことはどこかであなたが弁解されなくちゃいけないと思うんですね、そうじゃないとすると。
○証人(竹下登君) 今、御氏名を申されました浦田さん、また長谷川信さん、また衆議院議員である小沢辰男さん、この方々はかねてそのようなことを申しておられたことは事実でございます。
今一番大変なのは、亡くなられた、法務大臣までおやりになった長谷川信先生が二億円を云々ということでぬれぎぬを着せられかけているということなんですよ。 私どもいろいろ調査してみますと、五月二十四日に二億円が長谷川信さんに渡されたというような報道もありますが、しかしこれはおかしいんじゃないかと。
○国務大臣(渡辺秀央君) お答えいたしますが、長谷川信先生も大変なことを言われているのかという気もしますが、私も実はそれ以上に大変なことを言われているわけです。今、先生がそういう疑念の中で私に対して質問をしているということは、極めて迷惑な話であるということを申し上げておきます。 もう一つは、全く、長谷川信先生と二人で会社あるいはほかのところへ訪問をしたというような事実は一切ございません。
続いて伺いますが、長谷川信氏が十月六日田中邸に行き、竹下氏の訪問の仲介をする段取りを渡邉廣康氏がとったということでありますけれども、それについて否かの問いに対して、これも背任の目的の一つであり、自民党問題、竹下問題とかかわり、裁判に不都合なので控えると証言をいたしました。すなわち、長谷川信氏が竹下氏に田中邸行きを勧めた件も自民党問題にかかわっていることを客観的に認めたことになります。
どういうことでこういうことになったか、長谷川信さんがあそこで写真まで撮ったというのはどういう理由だか、私今もって脇に落ちないのですよ。
そのときに、翌朝といいますか、その日の夜中に長谷川信さんが竹下さんのところへ電話をして、朝、田中さんのところで待っているよということで、その配慮がなされたということなんですが、先生が飲みながら聞いておられた中で、そういう長谷川さんを探したりとかなんとかということはなかったんでしょうか。
そして、長谷川信さんとちょっとささやかれてお帰りになった。その結果をあなたはいつ、だれからお聞きになりましたか、田中さんのお屋敷の中には入れなかったという結果を。
次に、あなたの多分依頼であろうけれども、長谷川信元参議院議員との話し合いのもとに、やはり田中邸に次の翌日の十月六日、竹下さんは早朝にごあいさつに行った方がいいであろうというふうになったらしくて、真夜中、十月六日の午前一時から二時ごろ、長谷川さんが竹下邸に電話をしてきたというのですね。
先ほど申し上げましたように、長谷川信さんが、これが、自分が名刺を受けて取り次ぐのでということが、私をしてその日に決行せしめた大きなゆえんでございます。
したがって、私の方へは長谷川信先生自身から電話がありました。だが、その間それを追跡調査しておったという状態では、私はございませんでした。
この方の名前は長谷川信氏であるのかどうか。それから、二億円を運んだと言われている件については、現在捜査の対象物というのでしょうか、関心の対象になっているのかどうか。この点をまずお聞きしたいと思います。
平成二年の二月二十八日から同年の九月十三日まで長谷川信氏は法務大臣をやられておるわけですね。少なくとも法務大臣を経験された方が、その半年前に知事選挙に絡んで、これは裏金工作と言っていいのか、お金の運搬役と言っていいのか、何ともわかりません、失礼な発言があったら訂正、削除するのはやぶさかじゃないんですが、法務大臣経験者がこういうことを行ったと言われている。
○西岡瑠璃子君 私は、元法相の故長谷川信先生だけでなくて、今渦中になりつつある渡辺現郵政大臣のことについてもちょっと触れましたけれども、時間がございませんので、田原法務大臣としては今のところ、いずれひょっとしてあるかもしれないというふうに非常にぼかした御発言でございましたのですけれども、その点については弁明なさいますか。
八八年初夏、田植えごろに北陸佐川の伊藤社長が当時の長谷川信参議院議員の秘書ら三人と一緒に、中条町長に中条店進出に当たって 新発田寄りに用地確保の協力要請があったこと、またその日に町長がここしかないと言って示した場所に立地することを決めたこと、用地については、公共用地確保という名目で町が前面に出て地権者と交渉したことなどが明らかにされました。
そうして、この新社屋の竣工パーティーには、これは当時の日本流通新聞でも紹介されておりますし、それから佐川急便の「飛脚」という中でも紹介されておりますから、特段改めて珍しいことではないかとは思いますが、当時の君県知事それから田中元総理の代理の秘書、小沢辰男衆院議員、長谷川信参議院議員とか吉川芳男参議院議員らが出席されて、盛大に竣工パーティーが開かれたようでありますが、その後、当時の君知事のもとで副知事
平成二年十一月八日(木曜日) 午前十時二分開会 ───────────── 委員氏名 委員長 一井 淳治君 理 事 永田 良雄君 理 事 松浦 孝治君 理 事 磯村 修君 長田 裕二君 陣内 孝雄君 長谷川 信
また、長谷川信君は、去る十月二十八日、逝去されました。まことに哀悼痛惜にたえません。 ここに、皆様とともに、謹んで黙祷をささげ、哀悼の意をあらわしまして、宮田輝、長谷川信両君の御冥福をお祈り申し上げたいと存じます。 どうぞ御起立をお願いいたします。黙祷。 〔総員起立、黙祷〕
菅野 清君 委 員 部 長 黒澤 隆雄君 記 録 部 長 滝澤 朗君 警 務 部 長 鈴木 重夫君 庶 務 部 長 島田 豊光君 管 理 部 長 中川 俊彦君 渉 外 部 長 大鷹 市郎君 ───────────── 本日の会議に付した案件 ○運輸審議会委員の任命同意に関する件 ○議員故長谷川信君
私は、ここに、同僚議員の御同意を得まして、議員一同を代表し、従三位勲一等故長谷川信君のみたまに謹んで哀悼の言葉をささげたいと存じます。 長谷川君は、大正七年十二月四日、新潟県長岡市にお生まれになり、県下の名門、旧制長岡中学へ進まれました。 長岡中学時代の長谷川君は、剣道部の猛者として鳴らし、また、スキーのジャンプ競技では県大会に出場した経験を持つスポーツマンでありました。
委員長 渡辺 栄一君 理事 魚住 汎英君 理事 近藤 元次君 理事 志賀 節君 理事 中尾 栄一君 理事 藤井 裕久君 理事 新村 勝雄君 理事 時崎 雄司君 理事 春田 重昭君 衛藤 晟一君 粕谷 茂君 渡部 恒三君 長谷百合子君 東 祥三君 寺前 巖君 出席国務大臣 法 務 大 臣 長谷川 信